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私自身は、日本型多数決暴力のようなものに辟易としている。

国鉄が赤字なら、それを民営化して黒字にしろという多数意見、郵政民営化の多数意見に対して、それで不便になる地方の人間は、意見を述べさせることも許されなかった。私にさんざん批判のメッセージを送りつけた、労働力はタダと考える「経済通」氏も、「JRに昔の国鉄に戻れというのか」などと書いていたが、9割の人が反対しても1割の人間にはそれがありがたいかもしれない。地方の超高齢化を考えると、これも無視できない。

飲酒運転にしても、程度問題のはずだが、ビール一杯程度でも懲戒免職になってしまう。免許が奪われることは地方の人にとっては死活問題だが、ビール一杯と泥酔がほとんど罪が変わらないというのは、酒を飲まない人間の横暴としか思えない。

あげくは、室内では原則的にタバコが吸えなくなるという。私は、タバコを吸わないが、そんな横暴に加担する気にはならない。

アルコールにしても、ニコチンにしても、国の金儲けのおかげで依存症になった人に対して、国は責任をもつべきだ。依存症になったほうが悪いから、のたれ死ねで済む問題なのか?

この手のモラルパニックに対して、少数派の肩をもつ人間や、少数派の気持ちを想像することすら許されない。今日も、医者のくせに受動喫煙の立場を考えろとか、飲酒運転の犠牲者のことをなんと考えているのかという批判のメッセージががんがん送られるだろう。

では、飲酒運転以外の犠牲者はどうなのか?携帯運転の危険だってテレビでやっていたと鬼の首をとったようにメッセージを送ってきた人がいるが、飲酒運転のように厳罰化は求めていないはずだ。人間の残りの人生を奪うような厳罰化(懲戒免職の上に、地方では運転免許がないと暮らせないだろう)を携帯電話運転やスピード違反に求めたテレビ番組があれば教えてほしい。

少しでも害があるものなら、多数派が少数派を断罪する国と(アメリカ型といえるかもしれない)、いろいろな人がいるから、ある程度は認めてやろうという国(ヨーロッパはそういうところが残っているが、クジラに対してだけは厳しい、でも、ノルウェーでは堂々と捕鯨をやっている)では、どちらが住みやすいか?

一度考える必要があると私は信じる。

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